みなさんこんにちは。
プジョー所沢 営業部 小川です。
今回は『2011”アジアカップ』のお話をさせていただきます。
準決勝、決勝と平均視聴率30%以上を記録しておりましたが、ご存知ない方もいらっしゃると思いますので、改めてご説明させていただきます。
AFCアジアカップ 開始年 1956年
主催 AFC
参加チーム数 16(本大会)
AFCアジアカップは、アジアサッカー連盟が主催する、ナショナルチームによるサッカーの大陸選手権です。
1956年に第1回大会が香港で行われ、以降4年ごとに開催されています。
また、優勝国にはFIFAコンフェデレーションズカップへの出場権が与えられます。
AFCアジアカップは、アジア地域の大陸選手権として1956年に創設された。
世界に6大会ある各大陸連盟選手権では、1916年に始まった南米選手権に次いで2番目に古いんです。
結果から触れていくと今大会の優勝国は日本です。
南アW杯で手応えを掴み、海外のクラブから移籍のオファーが届きチームの中心として活躍する選手が現れるなど、日本人選手個人のレベルも上がっています。
以前なら強国相手に名前を聞いただけで、負け意識が芽生えていた日本代表チーム。
今大会は海を渡って自信をつけた若い選手を中心にメンバーを構成しました。
イタリアから来たサッカーを知り尽くした監督が集めた選手達です。
ちなみに外国人監督は6人目でイタリア人は初めてです。
8月31日の就任会見後、采配を揮った試合は8戦5勝3分です。
真剣勝負は今大会が初めてでした。
全試合をテレビで応援しました。
非常に楽しかったです。
日本選手は以前から足元の技術には定評がありましたが、今大会はそれに加えチーム全体の動きが絡み、最後は個人の技術でゴールを奪う見ていて楽しいサッカーでした。
グループリーグを勝ち上がりトーナメントに進むにつれて、体力は消耗し厳しくなってきますが、精神面で強くなりチーム力が上がってくると感じました。
スピードとフィジカルのサッカーをしてくるオーストラリアが決勝戦の相手でした。
こちらも体力的には厳しい感じでした。
シュートの精度がだいぶ低かったですよね。
決勝トーナネント1回戦あたりでオーストラリアと当たっていたら勝っていたかはわかりません。
今大会、女神が微笑んだのは日本でした。
勝利を決めたあのゴール。
監督が送り出した途中出場の選手でした。
2002年5月15日、2001-2002シーズンUEFAチャンピオンズリーグ決勝で魅せたジダン選手のボレーを思い出すぐらい美しかったです。
サッカーは美しい。
地球もまた美しい。
それではまた次回・・・